田沢湖に引っ越してきてから、もうすぐひと月が経つ。
その間に見つけたお気に入りは、田沢湖畔でぼーっと過ごすこと。
仕事の昼休み、仕事が早く終わった夕暮れ時、お休みの日の朝、星が綺麗な夜。
時間を見つけては、田沢湖畔に車を走らせる。
東屋に行くこともあるし、砂浜の岩に腰をおろすこともある。
どんな服を着ていても座れるように、小さなレジャーシートを持ち歩くようになった。
座る場所を見つけたら、準備完了。あとはただただ、空と、湖面に映る山並みを眺めるだけ。
普段は、きっと無意識に色々なことに捉われてしまっているのだと思う。
1日の段取りだったり、その日あったことへの後悔だったり、明日への不安だったり。
綺麗な景色を眺めていても、どこかそわそわしていて、手がついケータイを触ろうとしたりする。
そうなることは目に見えているから、ケータイは車に置いてきた。
その空間に少しずつ自分を馴染ませていくように、ゆっくりと呼吸を繰り返していると、段々と景色が見えるようになってきた。
油絵の具で描いたようにもくもくと厚みのある雲。
歩道には赤黒いベリーのような実が沢山落ちている。
水は透き通っていて、濃淡が少しずつ違う水色が、何層にも重なってマーブルのように混ざり合っている。
湖の底から、時々何かが浮き上がって、凪いだ湖面に波紋を作っては消えていく。
誰かの話し声も聞こえてきた。
見渡すと、右手側の遠くではお揃いの半袖を着た老夫婦が、犬を連れて同じように湖畔に座っていて、左手側にある桟橋の上では、若い男性が二人、仰向けになって寝転んでいた。
波が浜辺にちゃぷちゃぷ当たる音や、木々が風で擦れる音も聞こえてくる。
びーっびーっ、トゥートゥトゥトゥトゥ、ピチュピチュピチュピチュ。鳥の声は、よく聞くと三種類くらいに分かれている。
音が、風が、透明になった身体を通り抜けていく。
そういえば、車の窓を開けて走るのも好きだな。
部屋の窓を開けた時も、タイで窓のない列車に乗った時も、大学のキャンパスまで自転車を漕いだ時も、風が肌を撫でていくと、自分の内側にまで息が通っていくような気がして、心地いい。
仕事場と家との往復で、心が鈍ってきた時、外に出て、呼吸して、そこで見えるもの、聞こえるものに意識をのせてみる。
そうして一旦、心を揺らしてみると、案外すっと、知らず知らず自分の胸に巣喰っていたものが見えてくる気がする。
仕事場から家まで、田沢湖に寄ってから帰ると、遠回りだけれど、実は近道なのかもしれない、と、そんなことを思った。
気がつけば、3時間が経っていた。少し肌寒くなってきたな。次はあったかいお茶と、ノートでも持ってこよう。